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2009年 04月 25日
AM6時。
日本を出て24時間経過。 僕は目覚ましが鳴る前に目を覚まし、顔を洗い髭を剃り、歯を磨き、シャワーを浴びた。 暖かいお湯がなかなか供給されないのと、吸い込まれそうなほどの換気のお陰で ガタガタと震えながら浴びた。 シャワールームの水が洗面所に流れてしまい、僕が一人で騒いでいる声で 家主のコジマは目を覚ましたらしい。 身体が暖まっているうちに、その広いリビングでたっぷりとストレッチをして、いつもの筋トレを始めた。 大理石の床にいささか、違和感を感じたが、ソファーにあったクッションを借りることにして 腹筋の2種類とリフトアップをいつものメニュー通りこなした。 ちなみに、そのクッション・・・・端っこのほうをちょっと破ってしまって、中のパンヤが出てしまった。 コジマ、ゴメン(笑)。事後報告します。 何とか時間通りに出発して妊婦組、キタムラ家のホテルへ向かい、そこから朝食を食べに移動。 ラオパサという、これまた屋台の集まりのようなところでモーニング。 名古屋の名物喫茶店コメダコーヒーのように、コーヒーとトースト、ゆで卵なんてものはなく、 朝からヌードルや炒め物など、普通にヘビィーなご飯が始まる。 異国の地もあるせいか、朝から食欲旺盛。 じっくり吟味してそれぞれがそれぞれの食事を買ってテーブルに集合。 ちなみに僕は鶏肉のお粥を買った。4.5シンガポールドル。約300円ちょっと。 しかも、生卵を入れてくれて、綺麗に器の周りに黄色く流し込まれていた。 みんなで色んな食べ物を回しあって試食。 そんな時・・・・・コジマが 『たまごはやめた方がいいよ、生卵はね』 と、それこそ事後報告。 食べちゃったよ・・・・・・・・何もなかったから良かったけどさ・・・。 ご馳走様の後は、地下鉄に乗りリゾート地と言われるセントーサ島に向かうために移動。 海外の地下鉄は、警戒心が最大レベルに上がるのだけれど、ここは日本にいるのと何も変わらず。 治安の良さを改めて実感。 そして、往復20S$を支払いロープウエイで、上陸。 あまりの高さに、情けない声を上げるチキン野郎共。 これ強風が吹いたら飛んでいくんじゃないの?って思うくらいのしょぼいゴンドラとワイヤー。 建設も大変だったろうな・・・・。 ゴンドラを降りると、晴天だったせいか、ものすごい強い日差しが僕らを出迎えてくれた。 さすが、赤道に近い国だけのことはある。 太陽が近い!と沖縄育ちのキタムラの奥さんが、ナイスな表現をしていた。 確かに、真夏の日本の海で波待ちをしている時より暑い。 そこは、本土と離れた島らしく、原生林が至るところにそびえていて、 その木々からの木漏れ日を浴びながら歩いていると、僕らの目の前を偶然大きなトカゲが横切って行った。 右前足がなく、大きな身体を三本の足でズルズルと引きずって行った。 そんなリアルな野性の光景を見て僕は少しほっとした気分になった。 セントーサ島は、これと行った見ごたえはなかったけれど、 戦争博物館があるので本当は見てこればよかった。 シロソ砦は第二次世界大戦中に使われた要塞跡。 日本軍が英国軍を追い詰めた場所で、大砲や弾薬庫等が展示されているらしい。 薄学な自分でも流石にこの島でも68年前に起きている、日本の大罪は知っている。 そう考えると、僕はものすごく不思議な感覚にとらわれた。 僕が生まれる30数年前・・・・今こうして歩いていて、すれ違った欧米人や現地の人々と 現在から数えると・・・たった68年前は殺し合いをしていたのだ。 僕らの先祖の遺骨の一部がこの豊な緑の下にまだ残されているのかもしれない。 口が展望台になっているマーライオンを登ることなく下から見上げて再び帰りのゴンドラへ。 眼下に小さくなっていくセント-サ島に僕は何度も何度もシャッターを押した。 カジノを建設中のため掘り返した赤土が、変な色に見えてきて思わず唾を飲み込む。 今は平和なんだ・・・・・・。 でも、僕らはその事実を忘れてしまうことはあってはならない。 セントーサ島へ上陸して、鼻についた風の香りは今でも忘れない。 顔には出さなかったがちょっと複雑な気持ちになった場所でもあった。 気を取り直して、今回のお楽しみのメイン料理と言っても言い過ぎではない、 チキンライスを食べにタクシーで移動。 高級ホテルであろう、マンダリンホテルの37Fへ 24S$と通常屋台の5倍くらいするチキンライスを堪能。 これがメチャクチャ美味しい。チリとジンジャーと砂糖醤油のようなものの3味が小皿に乗せられ それにチキンをつけて食べる。 ライスそのチキンを煮込んだダシで炊いたタイ米。 美味しい一言だった。ホテルならではの上品な味が、また違った海外旅行の醍醐味を知らせてくれる。 タイガービールも程よく冷えていて、屋台のように凍る一歩手前の荒々しいテイストとはまた違った。 昨日からの食べつくしで、なかなか腹は減らないのに、食べてしまう自分達・・・。 S$のお金も尽きてきたので両替を兼ねて、オーチャー通りを散歩。 お菓子のおまけの箱の様に窮屈に作られた両替所の主は殆どがインド人だった。 やはり計算に強いインド人が有利なのか・・・・・? シンガポールのデパート街はたいそうな店ばかりだった。 高級ブランドがたくさん集まり、品の良さそうな夫婦や年配の女性が出入りしているのを目にした。 こちらの伊勢丹は古くから進出していたらしく、有名デパートに混じって大きく構えていた。 ビルとメイン道路の幅広く取られた歩道は様々なイベントが催されていた。 映画と携帯のタイアップ企画やミネラルウオーターのイベントやら・・・。 ド派手な企画が盛りだくさんで、その無駄に大きな音量と目障りさに僕はいささかうんざりしていた。 何も日本と変わらず、そのワザとらしい演出が余計に神経を逆なでた。 できるだけその光景は見ないように、街路樹の並びを眺めてたりして気を紛らわした。 南国の深いグリーンの木々から強い日差しが零れ落ちて、歩道に光を散らす。 僕は数時間前の右前足のないトカゲの事を思った。 彼はどんな気持ちで、あの場所に住みつき・・・これからどのように過ごしていくのだろうか。 彼から見た賑やかな島の昼間と観光客のいない夜の島はどのように感じているのだろうか・・・。 僕はそのマーケット戦略に突き動かされている人々よりも、ハンディーを持ったトカゲのほうが ずっと自由に感じた。 でも、日本に帰ればおそらく、自分もその歯車の一員であることには変わりはない・・・。 繰り返される消費と生産。 繰り返されると理想と落胆。 僕らは一体何を求めて生きているのだろうか・・・・・? 無数の鉄の雨を受けて侵略をされたり、人を殺めたりした68年前の人々は幸せだったのだろうか? その時代の風潮や運命は、幸せの中の不幸な人生なのか、不幸な中にも芽生えた幸せな人生なのかは、 誰も知る由もないだろう。 どちらにしてもその影に追われながらも、ひたすら前向きに生き延びていく人間だけが 自分の中にだけ幸福を掴み取れるのかもしれない。 それは今も昔も何も変わらないのか・・・・・・・ それから僕らはリトルインディアというインド人が商売している商店街へ向かった。 そこにある、日本のドンキーホーテのようなビル、ムスタファセンターという所を目指して。 まだ、日本のドンキーホーテに行っていない自分はちょっとワクワク。 ジャンボタクシーに乗るために探していたら偶然コジマが見つけてくれて、交渉してくれた。 だがこれが運命の分かれ道になるとはこの時・・・・誰も想像していなかった・・・。 そして僕らはジャッキー・チェンに似ている事からジャッキーと呼ぶことにしたが、図々しくドライバーも 自分でジャッキーと呼んでくれと運転中、身体ごと後方に向けながらアピールしていた。 調子の良さそうな商売上手な人柄だったけれど、悪くはない感じだった。 移動中、冗談を交えながら会話を交わして、今夜のナイトサファリに、もし良かったら送らせてくれと 話を持ちかけてきた。 ナイトサファリとは、シンガポールツアーでも組まれる程の名所らしく、 要は、富士サファリパークの中をトロッコのようなバスで見て回るといったもの。 そこに25s$で送り届け案内するという。 まあ、交通手段からしてそちらのほうが有効だったので頼むことにした。 商談成立。 唯一携帯を持っているコジマが連絡先と迎えに来てもらうホテルの名前と時間をメモした。 そして怪しげで、一層体臭のキツイ、リトルインディアへ到着。 降りて1分後。 パン屋のカニさん 『しまった・・・・タクシーにカバン忘れた・・・・・・・・。』 まじかよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 追いかけたが既にタクシーはおらず・・・・・。 5分後・・・・・。 コジマが携帯で連絡を取ってくれて何とか回収に成功。 これ、ホント運命の分かれ道・・・・・・・・。 もし、ジャッキーと出会わなかったら・・・・・・・・・・・・・・・・・。 チキンライスでお腹一杯だったから、らしくなく、ちょっと抜けてたね(笑) ただ、シンガポールのタクシーは海外のタクシーにしては正統派できちんとした明朗会計が存在する。 白タクのような怪しいタクシーは一度も見なかったし、ボロボロで不衛生極まりないタクシーなど 一台たりとも見かけなかった。 安心して乗れる乗り物であることは間違いない。 だけど、一回だけ僕とカニさんが乗ったタクシーが遠回りして、先についていたコジマ達が あまりの遅さに首を傾げていた。 そんな時、コジマは運転手に 何で遠回りする?左曲がってまっすぐだろ? と詰めより、相変わらず気が強いのは、この人もカニさんも変わらず・・・・・・。 レシートよこせ、とタクシー会社と車番を確認。 3回こういった件で通報が入ると営業停止になるとか・・・・・。 なかなか規律に厳しい国でよろしいかと・・・。 ちなみに、シンガポールで偽造通貨と薬物所持等は死刑。 日本もここまでやったらいいのに・・・・・。 今なら日本のお気楽な大学生達は、絞首刑だらけだな(笑) でっ、そのムスタファセンターは日用雑貨からどうしようもないものまで(笑)販売していた。 広い店内は一階は貴金属類でどちらかというと高額商品があった。 ここで国民性を感じたことがひとつ。 日本だとカウンター兼ショーケースになっているガラス面ってあまり触れないと思う。 僕は父から家やお店のガラスや鏡をむやみに触るなと、しつけられた。 それが外のウインドーガラスであっても触るなと。 手垢がついて、汚いし掃除をするのも手間がかかるからと。 だけど、こちらは・・・・・・・・・超アブラギッシュなガラス面。 冗談抜きで、汚いガラス面で乱反射して商品が見えない。 本当に見えない。白く濁っていて、下から除かないとと無理。 潔癖症ではないけれど正直ここまで汚いと見る気も失せてくる・・・。 その脂を拭きもしない店員達も、そういう事を気にしない人間だから仕方ないか・・・・・。 2階・3階はシャンプーから始まり無数の日用品と洋服、子供のおもちゃなどなどで溢れていた。 インチキくさいナイキのシャツやアディタスがワゴンに詰め込まれていた。 僕は空港の免税店で土産を買うことは避けたかったので(あまりにもベタ過ぎて) ここでお土産を大量に買い込んだ(笑)。 とは、言うものの大したモノを買うことも出来なかったが。 面白かったのがメンズの香水のコーナーが異様に品揃えが多かった。 これでもかと言わんばかりに上から下までドラッグストアーの壁面半分くらい使う勢いで 品揃え、在庫とも異様な量だった。 まあ、それだけ需要が多いのもこちらの香辛料の強い食べ物や幅広い人種を考えると納得できる。 体臭がキツイから、香水を振りかけてカバーするみたいな感じ。 友人のスリランカ人も香水を振り掛けて使っていたから、すぐなくなるのだろう。 レジで纏め買いする男性客を見てまたまた納得。 インド人が経営している店だから当然レジもインド人。 当然男性。 これが強烈に遅い。本当に遅い。 ウチの月穂がおもちゃのレジで遊んでいるほうが手際が良く早い。 やる気があるとかないとか関係なく、一つ一つのペースが穏やか(笑)。 モノを取るにしてもゆっくりゆっくり。 これを国民性と呼ぶにはあまりも、非効率的で厳しいものがある。日本人から見ると。 でも、みんな黙って並んでいたから、あれが普通なんだろうな・・・・・。 中国の方が並んでいたら、喧嘩が起きる可能性大。割り込んでも叫んでもきっとこの空間では 無常に響き渡るだけだろう。 いつもはイライラする自分も、郷に従った。 毎日だったらちょっとうんざりかな(笑) 店を出て、通りを散歩した。 南の空から真っ黒な雲が物凄い勢いでこちらに迫ってくるのが手に取るように分かった。 分かっていながらも僕らはそのストリートの商店街で買い物を続けた。 3FOR 10S$ という、観光客向けの土産屋がいくつも軒並みをそろえていた。 10シンガポールドルで何でも3ついけますよ~的な店。 そこでパン屋のカニさん、アジアならではの配色で子供のシューズ入れのような形をした可愛い 布製のカバンを大量大人買い(笑)。 でも、全然安物に見えないから、グッドなチョイス。 ちなみに僕も月穂と姪っ子に買い残りの一つは超でかい扇子を買った。 夏場ハイエースで活躍しそう。 そんな買い物をしている最中、メチャクチャなスコールが直撃。 シンガポールの中でもそれほど綺麗ではなかったこのリトリインディアシティーの道が 全然埃っぽくなかったお陰は、この毎日のようにくるスコールのお陰だとかな。 乾季とかになるとかなりの量で砂埃とか粉塵が出るんだろうな・・・・・。 凄まじいスコールの音に対抗してコジマが一生懸命になって大声でタクシー会社に 電話しているが全然?がらない。 僕もストリートを走っていくタクシーを拾おうとするが全くの無視。 FREEで流していても停まる気配すらない。 逆に水しぶきをあげてかけられる始末・・・・・・・。 粘ってみたけれど無理な状況が明らかになり、諦めた僕らはインド人が経営する街角のカフェに入った。 もう、その中は完全にインド状態。 ベタベタでヌルヌルの床にネチャネチャなテーブル。 ジンジャーteaを頼んでも、ジンジャーチャイ?と思うくらいの代物。 しかも、ガラスカップの持ち手も底も側面も何もかもネトネト(笑)。 シンガポールの屋台は衛生が厳しいと聞いていたが、カフェは別扱いか? トイレの紙も犬でも来て荒らしたかと言わんばかりの荒れよう。 何故そこにあるゴミ箱に捨てれない・・・・・・? そういえば、行きの飛行機の2便とも降りるときにフリーで配られた新聞は床に放置されて お手拭のビニールも見事に散乱していた。 モラルのなさというか、育ちの悪さというか、国柄というか・・・・・・・・・。 どうしようもない人種が多いことに気がつかされる。 つい最近のタイの暴動もやりたいだけやって、ストリートにはゴミが散乱していたようだが、 自分達のことばかり主張したところで、こういった姿を見るとデモ隊の指導者の社会的なモラルが 手に取るように分かる。 まあ、日本でも先輩方が頑張った学生運動の時代もそんな感じだったであろうし、 いざ、生死を分けるまでの暴動になって 『はい、逃げるときに皆でゴミを片付けてから逃げますよ~』 とは言えないだろうし・・・・・・。 そう、インド人のカフェはそれはそれは、リトルインディアシティーという名に相応しい店だった。 そして雨が小降りになった時、そのカフェの30m位先にあるヒンドゥー教の寺院に足を伸ばした。 16時から空きだしたのでちょうど門が開いた後だったようだ。 名古屋大須観音、また大阪水掛地蔵など、アーケードの中に神社などが祭られている所がある。 しかし、ここは違った。 強烈なオーラがあり、写真撮影禁止は分かっていたが僕は視線すら向けたくなかった。 何か強いというか、執念深いというか、根深いというか・・・・・・・。 寺院の中は空気が澱んでいて凄まじい霊が僕の目の奥から心の隅々まで入り込もうとしていた。 今になって言うけれど、妊婦であるキタムラの奥さんが入るとき、止めようとしたのだけれど 声が出なかったのが事実で、いっちゃ行けないよと言えなかった。 自分の意思と別に声にならなかった。 入り口付近にいた老婆が首だけ捻り、軒下にいた僕を睨みつけるかのように じっと見ていた。 その瞳の奥には、闇のような、本当に暗い、空間がぽっかりと口を開けていた。 その後30分くらいは記憶がない・・・・・・。 しかし、負けるわけにはいかないと寺院の中に無理やり入ってみた。 入った瞬間に既に嘔吐寸前。 今まで感じたことのないシックスセンスが異様に反応する。 重くて、濁っていて、メチャクチャ息苦しい。 僕は追い出されるように寺院から飛び出た。 きっとあの寺院に長くいると、生きてるのか死んでるのか分からなくなってくると思う・・・・・。 生きている人々の残留思念とそこに集まる動物?と人間の霊が渦巻いていて、 口の中がカラカラに乾いていた。 凄まじい恐怖を遠慮なく感じさせてくれるが、あの感覚はもう味わいたくない・・・・・。 (03へ続く。)
by ae86hidekidri
| 2009-04-25 10:47
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